北の空から~アトピー湯治留学 豊富温泉へ移住

アトピーの息子と北海道の北の端の豊富温泉に湯治留学するまでの出来事とそこでの日々を綴ります。

広島に原爆が落ちた日

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 昨日、8月6日。

スマホに送られてくる記事に、やたらと戦争関連が多いな・・・。

と思っていたら・・・。

ああ・・・、そうか・・・。

74年前、広島に原子爆弾が落とされた日。

 

沢山の命が一瞬で消えて、生き残った人達に

この世の地獄は、人間の手で作られることを

まざまざと見せ付けた日。

 

子供の頃、はじめて原爆について書かれた本を読んで、

現実に起こったこととは信じられなかった。

体が冷たくなって、

頭がクラクラして、

気分が悪くなって、

涙が溢れてきた。

 

申し訳ないけれど、

原爆の被害者の様子を描いた絵は、

ずっと、直視出来なかった。

 

「裸足のげん」という漫画は知っていたけれど

残酷すぎて読む勇気がなかった。

私が目を反らしても、残酷な事実はそこにあって

なにも変わらないのに、

残酷なことがなかった事にしていたい・・・

そんな事が、沢山あったのだと思う。

現実の世の中は、残酷なことだらけなのに・・・。

 

去年の夏、次男が自分で図書館から

「はだしのげん」を借りてきて、

泣きながら読んでいた。

私も手にとって、読んでみた。

 

原爆の残酷さは勿論のこと、

そこに書かれていたのは、

人間の心の醜さ、卑怯さ、勧善懲悪とは無縁の現実。

事実は小説よりも奇なり。

事実はいつも、人間の想像を超えて残酷。

大人になって、色々な事を垣間見て、

今つくづく思う。

裸足のげんに書かれている事は、

何て残酷で、何て現実に忠実に書かれているんだろう。

 

真面目に行きていたら、

精一杯努力したなら、

正直であり続けたなら、

 

誰かがみていてくれる?

助けてくれる?

報われる?

 

現実はそんなに甘くない。

 

あの日、広島で被爆した人達は

その瞬間まで、普通に日常を生きていた人達。

 

一瞬で命を奪われたか、生き残ったか、

たまたまの運だけの事。

無傷だったか、大怪我を負って後遺症に苦しんだか、

それもたまたまの運。

 

同じ場所に居合わせて、ほんの僅か条件が変わっていたら

自分がその立場になっていたかも知れない人達が、

ケロイドに苦しむ人達を差別する。

 

原爆を落としたことも残酷だけど、

目の前で苦しむ人達を差別できた人達・・・。

それは原爆に留まらず、

ハンセン氏病への偏見や、

障害者への強制避妊の問題や

沢山の公害病で苦しんでいた人達への心無い仕打ちや・・・。

 

どうして皆、他人事、で片付けられるんだろう?

一歩間違えば、被害者は自分だったかもしれない、

大事な家族だったかも知れないのに・・・。

 

想像力が無いためなのか?

他人の痛みは感じない?

そうである限り、お互い傷つけあう悪循環は変わらない。

 

人の不幸は蜜の味?

 誰かが苦しんでいると、

辛いのは自分だけじゃないと安心するの?

誰かと比べないと、自分の幸せを測れないの?

 

 

「ちーちゃんのかげおくり。」

という絵本があります。

子供たちがまだ小さかった頃、

読んであげようとしたんだけれど、

どうしても最後まで読んであげられないのです。

どうしても途中で涙で声が詰まってしまって、

最後は大泣きしてしまうのです。

 

この話は、偶然小学校の教科書に乗っていて、

次男が同じように、泣きながら音読していました。

 

小さなちいちゃんが、空襲で家族と離れ離れになって、

空腹の中、一人で影送りをするシーン・・・。

何度読んでも涙が止まらなくなります。

 

もしこれが我が子だったら・・・。

 

いえ!我が子じゃなくても、

幼い子にこんな思いをさせたくない!

 

だけど、74年前。

たった74年前、ちいちゃんみたいな子供たちは、

日本中に沢山いたのです。

助けたくても、皆が生きるのに必死で

目の前で死んでいく子たちを助けることもできないような

そんな時代を生きた人達が、まだ私達と同じ時代を生きています。

 

自分さえ良ければいい・・・

皆がそう思い続ける限り、

歴史は繰り返され続けるのでしょう。

 

遠い昔の、私達と関係ない世界の出来事ではなく、

一人一人の心の中にこそ、

戦争の火種があるのだと思います。