北の空から~アトピー湯治留学 豊富温泉へ移住

アトピーの息子と北海道の北の端の豊富温泉に湯治留学するまでの出来事とそこでの日々を綴ります。

北海道胆振東部地震

 

 9月6日、朝6時頃、朝ごはん用のお米を炊こうと、炊飯器のスイッチを入れた。

が、反応が無い・・・。???

湯の花荘の設備は皆、年季が入っている。とうとう寿命が来たか?

と、妙に納得してしまった。

それにしても、朝ごはんどうしよう?

歩ける範囲にコンビニもないし・・・。

取り敢えずトイレに言って、・・・と、あれ?トイレの照明も付かない!

あちこちのスイッチ押してみても、どこも反応しないぞ・・・。

そういえば、さっきから遠く微かに町内放送が流れているのが聞こえるが、

なんて言っているのか分からない。

取り敢えず管理人さんを起こして、停電していることを伝えた。

スマホで検索しても何も情報は得られないが、何かが起こっている気配に、

思わず、消防に電話して聞いてみた。

「停電の原因は?何が起こっているのでしょう?」

「それが・・・こちらでも原因がわからないのですが・・・現在北海道全域で

停電している模様です。何が起こっているか、情報収集している所です。」

と、ただならない予感の返事。

 

暫く様子を見ましょう、ということになったものの、電気は相変わらず

復旧する様子もなく、

そうこうするうちに、札幌近くで早朝に地震が起きたこと、

発電所が破られたことなどがスマホを通して伝わってきた。

地震が起きた場所からは遠く離れているし、きっとすぐ復旧するに違いない、

という思いとは裏腹に、数年前の震災の記憶が甦る。

あの日、私はまだ小さかった次男と公園にいた。立っていられない程の

激しい揺れの中、何とか公園に設置されたテーブルの下に隠れ、

揺れが収まるのを待った。

その後一帯のスーパーからは、お米もパンも水もお茶も、懐中電灯も電池も

ロウソクも・・・生活に最低限必要なものが、一斉に消えた!

そして、計画停電・・・。

夜でも明かりに困らない暮らしが当たり前では無いことを、あの時

思い知った。

 

万が一に備えて、懐中電灯かろうそく、最低限の水と食料だけは

確保して置きたい。

なにしろここでは、私達は誰も頼る人も居なければ、

土地勘も生活の知恵もない。

しかも、まだアトピーの症状を抱えたままで、

いつ悪化するとも知れない子供を抱えて。

震源から離れているとはいえ、もし何か起こって

物流が途切れれば、札幌からはるか離れたここでは

補給されるのはきっと最後に違いない。

 

親しくなった宿泊客はちょうど先月末で帰り、

新しい人は来始めたところで、

人柄も、名前さえも分からない状態だった。

取り敢えず、相談して街に買い出しに出かけた時には、

懐中電灯どころかロウソクも売り切れ、

食料品も日持ちのするものは無くなりかけていた。