北の空から~アトピー湯治留学 豊富温泉へ移住

アトピーの息子と北海道の北の端の豊富温泉に湯治留学するまでの出来事とそこでの日々を綴ります。

湯の花荘に別れを告げて・・・

 沢山の思い出とともに、湯の花荘での一ヶ月は瞬く間に過ぎて

行きました。

 その間、私に迷いが無かった訳ではありません。

東京での生活とは余りにかけ離れた環境。

一番の心配は私に車の運転免許が無かった事。

それから10月中には降り出し、4月頃までは雪に埋もれるという生活。

雪国の生活どころかスキーの経験もない私には、

日本最果ての地での冬の生活は、想像しようにも実感が湧かない。

私達が住む予定の町から温泉街までは、バスは1日4、5本。

冬場吹雪けばバスが来ないこともある。

吹雪いて買い物に行けないことも、小学校が休校になることも

あるという。

雪かきはスコップでは追いつかないから、

ママダンプとか言うもので押し出していくとか?

教育委員会の方が冬場の大変さに触れ、

本当に大丈夫ですか?と心配顔で聞かれるたびに

頷きながらも、自信なんかあるはずもなく、、、

だけど、仕方ないじゃないか!

だって、我が子にここの環境が必要な以上、

選択の余地は無いのだから・・・。

大丈夫かどうか迷うのではなくて、

どうしたら大丈夫か?を考えるしか無い。

 

次男の方はといえば、湯治に訪れる方々、

そのまま定住した方々に可愛がってもらいながら、

ここでの生活を楽しんでいた。

特にこの近くにあるトナカイ牧場のレストランで働いている

という青年になついていて、彼の作るラーメンを食べに行きたいと言う。

日曜日はバスの本数が少なくて不便だからと、月曜日に

バスでトナカイ牧場へ。

ところが・・・!

バスを降りたものの、人気がなく、嫌な予感・・・。

月曜日は休園だと、

どうして聞いてこなかったか!息子よ。

帰りのバスの時間まで2時間以上・・・。

ひたすらトナカイに餌をやって時間を過ごした。

ここでは、こんなことも起こります。

 

湯の花荘最後の夜は、

親しくしていた方達と温泉閣で夕食を取り、

ほんの少しの別れを惜しみ?

 

翌朝は、その日湯の花荘に宿泊していた方達が皆、

バス停まで見送りに来て下さいました。

アトピーの方達は夜痒くて眠れない方が多く、

朝はほとんどの方が寝ているため、いつもシーンとしています。

けれど、朝出発する前に教えてね、と息子に声をかけて

下さっていて、

息子が挨拶に行くと、皆さん起きて、

眠い目を擦りながらゾロゾロとバス停まで・・・。

次に戻ってきたらまたお会いできる方もいれば、

そのときには帰ってしまって、もう二度とお会いする機会がない

のかもしれない方もいます。

それぞれに手を振って下さる方々が、バスの窓から小さくなって

消えて行きました。

息子の胸には一生残る素敵な思い出のシーンとなったはずですが・・・。