北の空から~アトピー湯治留学 豊富温泉へ移住

アトピーの息子と北海道の北の端の豊富温泉に湯治留学するまでの出来事とそこでの日々を綴ります。

さんま3匹、海老10数匹、あと一匹で100円。

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いつものスーパーで、

魚のあら、と書かれたパック。

中には、サンマが3匹と海老が十数匹、それとカレイに似た魚が一匹。

それがなぜか100円。

安すぎじゃない?

大丈夫?

食べられるの?

 

恐る恐る買ってみた。

全然美味しい・・・。

 

あんまり安すぎると、買うのに躊躇してしまう・・・。

 

7月のことでした。

 

トゲトゲの花・・・

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 子供たちが口々に興奮して話す。

「棘だらけの花があるんだよ!」

「葉っぱや茎だけじゃなくて、

花も棘棘なんだよ!」

「細かい棘じゃなくて、長くて鋭くて、

痛くて触れないの。」

「サボテンみたいなんだけどサボテンじゃない。」

 

 町営住宅の裏の空き地は、

草だらけで、いろんな草や雑草で茂っていて、

時折草刈りをした所で、あっという間にまた伸びてくる。

 

 そこでキャッチボールしている息子達は、

しょっちゅうボールを無くしては

草むらを探し回っているから

棘だらけの花は、ボール探しには天敵なのだ。

 

 だけどこのトゲトゲの花は、

迷惑だから・・・

ということ以上に彼らの興味を惹いたらしい。

 

こんなにトゲトゲの花があるなんて・・・!

 

トゲトゲの花に興味いっぱいな彼らを見ていることが、

何だかほっこりとする。

 

 

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1ヶ月程前に書いた記事が、アップせずに残ってました。

 

その後、紫の棘棘した花が咲き、

トゲトゲの正体は、あざみの花だということが分かりました。

 

 

 

 

初めての体験~鱒をさばく!

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夏休みのある日、私達親子がちょっぴり寝坊していると・・・

ピンポ~ン・・・!

と呼び鈴の音。

近所に住むḠ君は、毎日のように息子を誘いに来てくれるが、

今日は随分早いなあ・・・と、寝ぼけ眼の息子を起こして

Ḡ君が来ていることを伝えた。

玄関から戻った息子が、まだ半分寝ぼけたまま何やらつぶやいている。

「マス・・・。」

???

「マス?」

「うん、マス。」

「マスって枡?」

「違うよ!マスだよ。マス!」

意味が分からずマスって?と繰り返す私に、

息子が大きなビニール袋を差し出した。

中には大きな魚がずっしりと重そうに・・・。

「鱒!えー、こんなに大きな鱒!?」

 

Ḡ君は、お父さんと一緒に、早朝から釣りに行くことが度々あって、

この日沢山釣れた鱒を、息子に届けて来れたのだった。

以前から、「釣れたらヤル!」

と約束してくれていたらしい。

 

朝まだ暗いうちから早起きして、

一生懸命釣った魚を、朝早速届けてくれるなんて、

これ以上ないプレゼントに感激で

じ~んとしたものの・・・

 

この魚をさばくのは、もしかして私?

 

「さばいて、塩を降って焼いて食べると美味しいよ。」

寄生虫がいるかも知れないから、一度冷凍してから食べた方が良いよ。」

Ḡ君が教えてくれる。

 

「だけど、おばちゃん、魚さばいたことって無いんだよね・・・。」

途方に暮れながら、思わず口にすると、

「マジ・・・?」

と返ってきた。

「マジ・・・。」

東京で、魚を捌いたことのある女の人探すほうが

難しいと思うけど・・・。

スーパーに並ぶ切り身の魚しかみたことない子供も多いハズ。

以前インターネットで切り身の鮭が泳ぐという

ドッキリの映像があった程。

 

それでもḠ君の好意を無にする訳にはいかない!

魚が大好きな息子に、新鮮な、友情たっぷりの鱒を食べさせたい!

 

我が家の小さなまな板からは、ゆうにはみ出る鱒に

挑む。

正直言って、ヌルヌルが気持ち悪い・・・。

目が怖い・・・。

包丁の切れ味が悪い。

 

スマホで検索したさばき方の動画を見ながら、

必死で格闘した。

せっかくの想いを無駄にしたくないから、

出来るだけ捨てるところの無いように・・・。

 

血だらけの台所。

だけど、何かを成し遂げた達成感・・・。

 

私にも鱒がさばけた!

やったあ・・・!

初めての体験がまた一つ。

 

そして翌日、冷凍した鯖を解凍して

教わったとおり塩をふって焼いた。

 

美味しい・・・!

 

脂が乗っていて、本当に美味しい!

こんなに美味しい鱒をいつでも釣って来られるなんて

なんて羨ましいんだろう・・・。

 

Ḡ君、君が頬を赤くして、鱒と格闘する様子が

目に浮かぶようだよ。

 

心もお腹もいっぱいになる贈り物を、

本当にありがとう!

そして、ご馳走様・・・。

 

 

豊富温泉湯治~あれから1年が過ぎて・・・

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 8月に入ると、ここ豊富では、大分涼しい日が続く様になり、

もう秋だね・・・なんていう会話が交わされるようになり、

お盆を過ぎると、朝晩は涼しいを通り越して

コートが欲しくなり・・・

と言うか、コート必須!

 

 去年の今頃、8月の15日に初めて豊富を訪れ、

あれから丁度1年。

 傷だらけで血が滲み、ガサガサだった息子。

体中のどこを探しても、掻きむしってない場所はなくて、

皮膚は掻きすぎて痛いのはずなのに、

それでも掻きむしって泣き叫んでいた彼。

 

 ここへ来る前の彼の写真を見ると、頬に血が滲んでいるのが

痛々しい。

 小学校へも休みがちで、ほとんど通えていなかった。

 これからどうなってしまうのか?

先が見えない不安の中で、疲れて朦朧としながら

息子の体を擦るしか無かった頃。

 死にたい・・・と泣き叫んだ彼。

 

 

 それが今、元気に学校へかよい、

自転車競技の練習に夢中になり、

「ママ、見て!筋肉!」

と、足の腿を突き出して見せる。

 

外見上では、アトピーがあるようには見えないと

人から言われる程回復した。

 

はじめて豊富を訪れてから、もう1年が過ぎたんだね・・・。

時の流れるのは、何て早いのだろう・・・

と思うのだけれど、

ここへ来る前の日々が、遥か遠くにも感じる。

 

何が正解で、どの選択肢がどこへ続くのか?

神の目を持たない私達には、いつも分からなくて

試行錯誤の繰り返し。

 

埼玉から日本の北の端っこへ、

思い切って冒険の旅に出た

私達はこれからどこへ向かうんだろう?

 

回復したとは言え、

埼玉に戻ればまた悪化しかねない今はまだ、

ここに留まるのが息子の願い。

 

ともかくも、1年前、

ここへの道を選んだこと、

本当に良かったと、心から思う。

 

 

 

サロベツ納涼花火大会

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8月15日の夜8時から、

豊富町の自然公園で、花火大会がありました。

花火大会のことは、以前から色々な方から聴いていて

とても混み合うと・・・。

 

これと言った娯楽のないこの町の暮らしですから、

息子と共に楽しみにしていました。

とは言いつつも、

こんな小さな町だし・・・、

予算も限られているだろうし・・・

混み合うと言っても・・・

なんて考えていたのですが。

 

この日は昼からも色々な行事があり、

出店が沢山出て、

太鼓やダンスのパフォーマンスが披露され、

お楽しみくじが販売になっったり、

小学生以下対象のビンゴ大会があったり、

餅まきがあったり・・・。

 

「餅まきがあるんだよ。」

という話を聴いて、息子と行ってみたのですが、

凄い熱気というか、殺気というか・・・。

それぞれに持参した袋を手に、

撒かれた餅に殺到。

「全然取れなかった・・・!」と口々に言う人たちの手には

しっかりと、いくつもの餅の袋が。

だけど、だけど・・・。

1個も取れなかったのは、私だけ?

「それはトロすぎでしょ・・・。」

と呆れる息子。けれど、

「拾った餅を袋ごと誰かに取られた・・・。だって、すごい勢いで

ひったくるんだよ?」

と、袋ごと取られた息子だって人のこと言える?

 

来年はせめて一つくらいはゲットしてみたいな・・・

けど、こうゆうの、ホント、取れたこと無い、トホホ。

 

一旦家に戻って夕方暗くなってから

会場に向かいました。

次男は友達と一緒に見る約束をしていて現地で合流。

 

花火大会の会場は文字通り墨を落としたように真っ暗で

足元も見えない。人の姿も見分けがつかない。

座って花火を見る場所を探すのも一苦労。

たった一つの街灯もない自然公園の闇の中で

人の気配だけが賑やかにざわめいている。

いよいよだ・・・

沢山のわくわくの中で、始まりの合図の花火が上がる。

 

すると・・・

目の前に鮮やかに広がり飛び散る、様々ないろの火花達。

赤、青、オレンジ、緑、ピンク・・・。

大きく高く打ち上げられた花火のすぐ後には、

低い位置に次々にテンポよく弾けるオレンジの光。

お腹に響くドーンという振動と、バチバチという粉かな音色。

 

高く上がった花火は、ほぼ頭上近くまで登って

一瞬のあいだ姿を消したかと思うと、

渾身の力を込めて弾けて、広がり・・・消えていく・・・。

 

とにかく、大きい!

目の前に何も遮るものがなく、

一点の光もない暗闇に、

大きな、大きな光の花が咲いては飛び散って行く。

息つくまもなく弾ける花火。

 

こんなに間近で、こんなにも見事な花火が

次々に夜空に広がるのを、

今まで見たことはなかった。

 

小さな町の花火大会だから・・・

なんて、とんでもない!

 

小さな町だからこそ、

この暗闇だからこそ、

迫力が増していることはあっても、

花火の見事さは

どんな花火大会にも劣らないと思う。

 

少し離れた場所から一発上がり、

2発目はもっと近くの場所に上がり、

3発目はまるで私達が花火の中にいるかのように

どんどん花火が近づいてくる演出も、

なんて趣向を凝らしているのだろうと感激した。

 

花火大会というのは、

ただ花火を打ち上げるだけではなく、

どんな花火を、どのタイミングで、どの位置から、

どういう組み合わせで打ち上げるかによって、

伝えたい想いを伝えることが出来る

一つの作品なのだと思った。

 

ただその作品は、写真や映像に撮っても

その一瞬一瞬の感激は残せない。

テレビをとおして見る花火大会は、

どんな優れた映像でも、なぜか精彩を欠いてしまう。

 

間近で見て、一瞬で消えてしまう芸術。

それは、そこに居合わせた一人ひとりの胸の中にしか

残せない

儚いからこそ美しいもの。

胸の中の「思い出」という場所に、今、保存。

 

 

 

 

 

 

 

大勢の利益と少数の利益のあいだに・・・

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 天気予報では晴れマークだったので、

久しぶりに外に洗濯物を干せるかと楽しみにしていたのに、

朝起きたら、やっぱり雨がしとしと降っていました。

これじゃあ、づっと梅雨が続いてるみたいだ・・・

と言ったら、長男曰く、

「梅雨にしては降水量が足りない。」

 

何となく曇って何となく霧雨が降ってる・・・

そんな日が多いです。

 

あと2ヶ月と少しで、今年も雪が降り始める。

そしたらまた、洗濯物は外には干せないんだなあ・・・。

 

何事も丁度良い状態って、無いんですよね・・・。

埼玉にいたときには、暑くて暑くて、早く涼しくならないかと、

そればかり考えていたのに・・・。

ここではこんなに涼しいのに、布団が干せない!

洗濯物が乾かない!

と・・・。

 

丁度良いって難しいな・・・と、以前から考えていました。

誰かにとっての居心地の良さは、

他の人にとっての不便だったり。

 

大勢の人の利益のために、

少数派は我慢が必要だったり。

 

息子がアトピーで苦しんでいた頃、

皮膚科を訪れるとほとんどのドクターから

「学会のガイドラインに沿った標準治療しかしません。

ガイドラインに沿った治療には間違いはないのです。」

と言われ、

ステロイドで状態が改善しないことを伝えると、

塗り方が悪い!と怒られた。

 

ガイドラインに沿った標準治療で治る人は、

確かに多いのでしょう。

また、病院に毎日沢山やってくる患者さんを大量に診察するには

ガイドラインに沿って、一律にさばく必要があるのでしょう。

 

けれど、一口にアトピーと言っても

症状も、体質も、環境も様々で、

必ずしも同じ治療法で治るとは限らないはず。

 

何よりも、医学は常に完全ではなく、

対処療法であったり、発展途上であったり、

今の時代の常識は、未来には大きく変わっていることも

沢山あるはずなのに・・・。

 

標準治療で治らない私達は

どうすれば良いのか?

 

ドクターは、ステロイドを恐れるな!

ステロイドを恐れてたっぷり塗らないからいけないと言う。

 

ネットでは、

聞きかじりの情報で根拠なくステロイドを恐れる患者が、

かえって状態を悪化させていると、

医師の指示通り使えばステロイドは怖くないと

ステロイドを危険視する事をもって、

批判するドクターも多い。

ステロイドを使わな親は、一種の虐待だとまで言う方まで。

 

けれど、少なくても私達は

最初は医師の指示通り信じてステロイドを使っていたのに・・・。

治るどころか、どんどん強くなるクスリ。

 

医者は、ほとんどの患者さんは治っているから、

今はアトピーは治る時代だから、

と言うけれど、

その病院を訪れなくなった患者さんは、本当に治って

訪れなくなった人達だけなのか?

私達のように、ステロイドに見切りをつけて

訪れなくなった重症な人達の事を

医師は知ることが無いのでは無いか?

と思ってしまう。

 

ステロイド治療の全てを批判したいわけではない。

ステロイドの効果は確かに凄いと思う。

ただ、ステロイド治療しか選択肢が無いことが問題で、

医者はテロイド治療しか出来ない、イコール、ステロイド治療で

全てのアトピーは治る、と誤解?(若しくは内心は気づいてる?)

医師が多すぎることが問題だと思う。

 

医学が万能では無いことを認め、

現在の治療に限界があることをまず認めることから、

本当の意味での患者のための治療への道のりが開けるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広島に原爆が落ちた日

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 昨日、8月6日。

スマホに送られてくる記事に、やたらと戦争関連が多いな・・・。

と思っていたら・・・。

ああ・・・、そうか・・・。

74年前、広島に原子爆弾が落とされた日。

 

沢山の命が一瞬で消えて、生き残った人達に

この世の地獄は、人間の手で作られることを

まざまざと見せ付けた日。

 

子供の頃、はじめて原爆について書かれた本を読んで、

現実に起こったこととは信じられなかった。

体が冷たくなって、

頭がクラクラして、

気分が悪くなって、

涙が溢れてきた。

 

申し訳ないけれど、

原爆の被害者の様子を描いた絵は、

ずっと、直視出来なかった。

 

「裸足のげん」という漫画は知っていたけれど

残酷すぎて読む勇気がなかった。

私が目を反らしても、残酷な事実はそこにあって

なにも変わらないのに、

残酷なことがなかった事にしていたい・・・

そんな事が、沢山あったのだと思う。

現実の世の中は、残酷なことだらけなのに・・・。

 

去年の夏、次男が自分で図書館から

「はだしのげん」を借りてきて、

泣きながら読んでいた。

私も手にとって、読んでみた。

 

原爆の残酷さは勿論のこと、

そこに書かれていたのは、

人間の心の醜さ、卑怯さ、勧善懲悪とは無縁の現実。

事実は小説よりも奇なり。

事実はいつも、人間の想像を超えて残酷。

大人になって、色々な事を垣間見て、

今つくづく思う。

裸足のげんに書かれている事は、

何て残酷で、何て現実に忠実に書かれているんだろう。

 

真面目に行きていたら、

精一杯努力したなら、

正直であり続けたなら、

 

誰かがみていてくれる?

助けてくれる?

報われる?

 

現実はそんなに甘くない。

 

あの日、広島で被爆した人達は

その瞬間まで、普通に日常を生きていた人達。

 

一瞬で命を奪われたか、生き残ったか、

たまたまの運だけの事。

無傷だったか、大怪我を負って後遺症に苦しんだか、

それもたまたまの運。

 

同じ場所に居合わせて、ほんの僅か条件が変わっていたら

自分がその立場になっていたかも知れない人達が、

ケロイドに苦しむ人達を差別する。

 

原爆を落としたことも残酷だけど、

目の前で苦しむ人達を差別できた人達・・・。

それは原爆に留まらず、

ハンセン氏病への偏見や、

障害者への強制避妊の問題や

沢山の公害病で苦しんでいた人達への心無い仕打ちや・・・。

 

どうして皆、他人事、で片付けられるんだろう?

一歩間違えば、被害者は自分だったかもしれない、

大事な家族だったかも知れないのに・・・。

 

想像力が無いためなのか?

他人の痛みは感じない?

そうである限り、お互い傷つけあう悪循環は変わらない。

 

人の不幸は蜜の味?

 誰かが苦しんでいると、

辛いのは自分だけじゃないと安心するの?

誰かと比べないと、自分の幸せを測れないの?

 

 

「ちーちゃんのかげおくり。」

という絵本があります。

子供たちがまだ小さかった頃、

読んであげようとしたんだけれど、

どうしても最後まで読んであげられないのです。

どうしても途中で涙で声が詰まってしまって、

最後は大泣きしてしまうのです。

 

この話は、偶然小学校の教科書に乗っていて、

次男が同じように、泣きながら音読していました。

 

小さなちいちゃんが、空襲で家族と離れ離れになって、

空腹の中、一人で影送りをするシーン・・・。

何度読んでも涙が止まらなくなります。

 

もしこれが我が子だったら・・・。

 

いえ!我が子じゃなくても、

幼い子にこんな思いをさせたくない!

 

だけど、74年前。

たった74年前、ちいちゃんみたいな子供たちは、

日本中に沢山いたのです。

助けたくても、皆が生きるのに必死で

目の前で死んでいく子たちを助けることもできないような

そんな時代を生きた人達が、まだ私達と同じ時代を生きています。

 

自分さえ良ければいい・・・

皆がそう思い続ける限り、

歴史は繰り返され続けるのでしょう。

 

遠い昔の、私達と関係ない世界の出来事ではなく、

一人一人の心の中にこそ、

戦争の火種があるのだと思います。