北の空から~アトピー湯治留学 豊富温泉へ移住

アトピーの息子と北海道の北の端の豊富温泉に湯治留学するまでの出来事とそこでの日々を綴ります。

~翌日

 翌日早朝、目覚めると、なんと電気は復旧していました・・・。

普通に電気が付くという事に、これ程感激したことは無かったと思う。

北海道という、住み慣れない土地で、スマホも繋がらず、

被災していることを、本州の家族にも連絡できず、

息子のアトピーの悪化を心配して、

心細い思いを抱えていたので、

心から、「やったあ!」と叫びました。

 

 それにしても・・・

ブラックアウトなどという聞き慣れない言葉がメディアから流れ、

思いもかけず長期化することを覚悟していただけに、何だか

拍子抜けしたような気分でしたが、

実は復旧したと言っても、豊富全域ではなく、まだ停電中のエリアもあり、

何よりも、電気が通って映るようになったテレビが映し出していたのは、

無残な被災地の様子や、

ライフラインが復旧せずに、不自由な生活を強いられている方達の様子。

まだまだ停電が続いている地域が多数ある。

そこにあるのは、昨日までの私達の姿なのです。

 

電気が通った安全な部屋で、今正に大変な状況にある方々の状況を

傍観する・・・。

戦争にしても、災害にしても、私達がニュースを通して見ているのは、

作り物のドラマなどではない、現実に起こっていることで

ちょっとしたボタンの掛け違いがあれば、

自分の身に起こるかもしれないことなのに・・・。

他人事と思える残酷さは、

多かれ少なかれ誰もが持っているのでしょうが、

それは想像力のなさ故なのでしょうか?

申し訳ないような、複雑な気持ちで眺めるばかりでした。

 

電気が復旧したと言っても、

まだまだ北海道全域では混乱が続いていたので

物流が正常化するには時間がかかり、

スーパーでは品不足。

ですが、

停電が長期化することを予測して

湯の花荘の皆で買い集めた缶詰やらお菓子やらが余ったので、

それらを使って、皆でお疲れ様会?をしました。

 

震災前にはまだ名前も知らなかった同士でしたが、

吊橋効果とも言うのでしょうか?

お互いの距離が近くなり、

これ以降共に行動する機会が増えました。

次男が正式にこちらの小学校へ転校してすぐの学芸会には、

皆で見に来てくれて、

次男はもう一つの家族のようだと喜びました。

 

そういえば、私が断水に備えて必死で水をためている間、

次男がなついている青年が次男の相手をしてくれていたのですが、

バク転をして見せてくれたり、沖縄の楽器である

三線を弾いてくれたりしたそうです。

三線なんて見る機会は殆ど無いし、

何て芸達者な!

 

ここではなぜか、とても素敵な人達との出会いに

満ちています。